空虚と満たされるつらいことはたくさんある。人間は醜い。 でも、そういう人間の「闇」の部分を見ないフリをして生きて、 それって楽しいのか問いてみたい。 醜いから綺麗なところも見えるんだろう。 醜いところには反吐がでるくらい残忍だから、余計に綺麗なものは一層綺麗に見えるんだろう。 綺麗事というオブラートにつつまれた上辺だけを信じて、それで人生楽しいの? つらいから楽しいんじゃないか。 より一層、楽しさが身に沁みるんじゃないか。 みんな簡単な上辺だけ信じて、汚いところは見えないフリを決め込んで、そしてあまりにも安易な娯楽を求めてる。 だからみんな乾いちゃうんじゃないの? カラオケとか合コンとか、そういう簡単な娯楽に逃げて満たされるのかよ。 つまんない生き方してるなよな。 もっと本質見抜いて、いやらしく見透かして挫折して、悲しんで、 そして綺麗なものを綺麗だと言えばいい。すべてが綺麗だなんて、そんな幻想こそ一番くだらなくて汚いじゃないか。ずるいだろう。 私はもう闇を知っているし、明りも知っているから、なんにも見えないフリをして生きている人たちの気持ちはわからないけど。 ねえその生き方は本当に満たされているんですか? 景色を見て、何も感じない生き方は楽しいんですか? 楽しいって答えるなら、根拠を聞いてやる。 何が楽しいの? 満たされてると感じる時はあるの? 空虚だと思う時間がないなら満たされていると実感することもないだろう。 表裏一体という言葉を知っている? ねえ、いつも楽しそうに笑っているけど。 あんたら満たされてるのか? |